浜田省吾 が女性歌手をプロデュースすると知った時。まったく関心を持たなかった。
2016年6月に発行された 浜田省吾 ファンクラブ会報 197号の記事だった。女性歌手の名前は、中嶋ユキノ。
中嶋ユキノ は、浜田省吾 と不思議な縁で結ばれている女性だった。
こんな話が、現実にあるんだろうかというような。浜田省吾 は、中嶋ユキノ の生い立ちを知った時、驚きを隠せなかったということが、今になって理解できるようになった。
やがて。
中嶋ユキノ は、2016年8月31日 メジャデビューアルバム『N.Y.』を発売。
このアルバムを聴いたかどうか記憶にない。ということは、聴いていないか、数曲聴いて興味を持たなかった可能性が高い。
発売から5年経った2021年。改めて、アルバム『N.Y.』を調べてみた。
アルバム『N.Y.』
ウィキペディアには、中嶋ユキノがインディーズとして発表した曲を、浜田省吾プロデュースでリメイクと書かれている。
わたしには、『N.Y.』というタイトルの意味がわからなかった。それは、今でも変わらない。
中嶋ユキノ のイニシャルであれば、Y.Nではないのか。「姓・名前」が普通だと思っていたけれど、正式な決まりはなく、どちらでもいいようだ。「名前・姓」でも問題ないという。
『N.Y.』としたのは、中嶋ユキノ のイニシャル。そして、もうひとつ、何かしらの意味があるダブルミーニングなのではないかと想像する。
制作クレジット
そして、アルバム『N.Y.』の制作クレジットを見ると、浜田省吾 と関係が深いメンバーがズラリ。
・プロデューサー – 浜田省吾
・サウンド・プロデューサー – 浜田省吾、水谷公生
・ストリングス&ホーン・セクション・アレンジメント、プログラミング – 水谷公生
・バッキング・ボーカル・アレンジ – 町支寛二、中嶋ユキノ
・レコーディング&ミキシング・エンジニア – 水谷公生
・バッキング・ボーカル・レコーディング・エンジニア – 町支寛二
・エグゼグティブ・プロデューサー – 鈴木幹治、岩熊信彦、高橋信彦
参加ミュージシャンも、浜田省吾 に関わりの深いミュージシャンが多用されている。町支寛二 がバッキング・ボーカルとしてス参加している楽曲が7曲。浜田省吾 がバッキング・ボーカルとしてス参加している楽曲が3曲。
そのうち、11曲目の『時計の針』は、デュエットソングだとアルバム『N.Y.』のインタビューで中嶋ユキノ は語っている。
「時計の針」に関しては7年くらいずっと弾き語りで歌ってきた曲なので、まさかデュエットソングになるとは思ってませんでしたね。2人で歌うことになるので歌詞を書き直そうかっていう話もあったんですけど、ちゃんと物語として成立していたのでそのままにしました。浜田さんの低音が効いた声が入ったことで、より切なく生まれ変わったと思います。
中嶋ユキノ「N.Y.」インタビュー – 音楽ナタリー 特集・インタビュー
ちょっと!ちょっと!ちょっと!!
聞いてないよぉ~
というのが正直な感想。これは初耳で、さっそく聴いてみた。
この曲、もっと早く知りたかった。。。
先入観を持たずに聴いていただけたら、新しい発見があるかも知れない。
聴いてみて、聴き終わって、どう感じるか。
お時間が許せば、ぜひ聴いてみてください。
サブスクリプション – Spotify
さいごに
中嶋ユキノ は、浜田省吾 と不思議な縁で結ばれている女性であること。
このシチュエーションが、共感されにくくしているのかも知れない。わたしの中にも、少なからず「なぜ?」という疑問が拭えずにいた時期がある。
今でこそ、竹内宏美 は浜田省吾 のバンドメンバーとイベントをやったり、結婚したことによって払拭できたけれど。h言葉で表現しにくい感情があったのは確かだ。
浜田省吾 ファンの中でも、中嶋ユキノ だけと快く思わない人がいたことは否定できない。
もしかすると、今回 中嶋ユキノ を応援しようと思ったのは、このようなことがあり、わたしの中で わだかまりがなくなったんだな。間違いなく。
浜田省吾 が 中嶋ユキノ をプロデュースという新聞記事を扱ったブログは以下でご覧いただけます。中嶋ユキノ に大きなポテンシャルを感じたと。そのポテンシャツは、いつ開花するのか。遅咲きでも、大きく花開いてくれることを願っている。
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