浜田省吾 ギターに想いを吐露した「MY OLD 50’S GUITAR」

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浜田省吾

Fender。
Gibson。
Grestch。

言うまでもなく、みなさんご存じのギターのメーカーである。昨日のブログでテレキャスについて触れ、ギターのことを知りたくなった土曜の朝。

浜田省吾「この新しい朝に」 ジャケットの「ちょっとしたこだわり」は ここかも?
疲れた。 と つぶやいてみた。 まんざら嘘でもないし。 そんなことはともかく。 昨夜、Twitterを見ていて「はっ」と...

浜田省吾は、どんなギターを使ってきたのか。どんなギターを愛してきたのか。それが知りたくなった。過去に発売されている映像作品を見れば、どんなギターを使っているのか確認できる。

でも、確認している時間はなく。ギターを見たところで、どのメーカーなのかを調べるには時間がかかってしまう。ということで、ネットで検索してみた。

すると、どうだ。
これでもかというくらいの記事がヒットした。浜田省吾のギターとは関係のない記事多数。内容が薄い記事大量。その膨大な検索結果から、貴重な画像だと思われるブログを訪問した。

訪問した浜田省吾のことについて触れているブログは、すでに最終更新日から10年以上から経過。もしくは、浜田省吾とは違う、音楽のカテゴリーとは異なるカテゴリーの記事を更新中だったりした。

しかし。
訪問した記事は、わたしにとって お初になる、とても貴重なことが書かれていた。さらに、カテゴリーには、いくつもの浜田省吾に関する記事があった。

お宝。である。
もう、BIG MONEYを手にしたような、奥単位の札束積んである場所を見つけたような気分。「今夜気分はどうだい?」と聞かれたら、声が出せないような状態だ。。。

そんな、わたしが見つけたブログの記事からインスパイアされ、今、こうしてブログをしたためている。

もしかしたら、あの記事だよね?と、知っている方は少なくないかも知れない。

そんな方は、あたたかい目でスルーしていただけたらと思います。

GUITAR。といえば、「MY OLD 50’S GUITAR」を思いだした。1990年に発売されたアルバム「誰がために鐘は鳴る」1曲目。わたしは、アルバム「誰がために鐘は鳴る」を始めて聴いた時、初っ端から頭を撃ち抜かれたような気分になった。

「1.2.3」という浜田省吾のカウントから始まる「MY OLD 50’S GUITAR」。

40歳の誕生日に自分の頭を撃ち抜く奴は

という衝撃的なフレーズが続く。銃で自殺するするストーリーは、ヘミングウェイのパロディ。

40歳の誕生日を迎えようとしていた浜田省吾は新たな壁にぶつかり、苦悩していた自身を重ね合わせたストーリーになっている。

そして。曲の中で、何度も1950年代に作られたギターに話しかける。自分の心情をストレートに吐露しているかのように。

ブリッジ95年10月号では、このように語っている。

音楽をやることにおいては、僕は報われたと思うんですよ。とてつもない成功ではなかったけどもね。自分が音楽をやって、ファンに恵まれて、リスナーを持てて、だから、そういう意味では、報われたと思うんだけど、何一つ満たされなかったんですよね。結局、”MONEY” で唄った、いつか!って言いながら、”遠くへ” で唄った、遠くへ遠くへってずっと思って遠くへ来たら、結局そこもここも一緒だったという意味では、結局何も満たされなかったんだと思うんですよね。

サクセスストーリーを突っ走っていると思われた浜田省吾は、自問自答し、苦悩と闘いながら走り続けることになる。あれから30年以上が経過した2021年。浜田省吾は、今も走り続けている。

「50’S GUITAR」とは、この世にロックンロールが誕生し、ロックンローラーが持っていたのがエレキギターだった。つまり、「50’S GUITAR」イコール ロックンロールの原点。自分の原点は、ロックンロールなんだ。そう考えたのかも知れない。

浜田省吾がギターを弾いている写真が表紙になっているギターの本。どれもカッコよくて、どれが1番かは難しい。

これが、黒いテレキャス。

こちらは、なんだろう。

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