アルバム「FATHER’S SON」のジャケットが 浜田省吾の最初のアイデアで あの人の格好だったら「不謹慎ネタ」になっていたかも

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FATHER'S SON-浜田省吾 ShogoTime

竹中直人が東京オリンピック開会式の出演を辞退していた。昨日、そんなニュースが表示されていた。

記事によると、竹中直人は大工の棟梁役を務めるはずだったが、7月22日に辞退を申し出た。1985年に発売したオリジナルビデオ「竹中直人の放送禁止テレビ」でのコントを問題視してのことだった。

今回の東京オリンピックでは、小山田圭吾や小林賢太郎の過去の発言がオリンピック精神にふさわしくないということで辞任。竹中直人も、その一連の流れによるものだった。

まだ若かった頃、発言したことや出演した作品が「不謹慎ネタ」に該当する芸能人は多数いるという。中には、超大物も含まれていると。

今まで触れられたことのなかった過去。それが、ことあるごとに「あの人は、こんな発言をしていた」「あの人は、あの作品で こんなことをしていた」。そんなことを言われている。たしかに、小山田圭吾や小林賢太郎のしたことは許されるものではないと思うけれど。

わたしからしてみれば、1985年に発売したオリジナルビデオ「竹中直人の放送禁止テレビ」の存在すら知らなかった。

まったく知らなかった人間が大半という状況の中で、一部の人間が過去のネタをリークする。リークすることによって、知らなかった人間が知り、SNSで これでもかと誹謗中傷する。

そんな世の中。自分の過去を振り返った時、わたしには触れられたくない過去がある。同じように考える人も少なくないのではないと想像する。

罪を犯した人は更生し、新しい人生を歩み始める。それを全否定してしまったら、生きていくことなど出来ない。もちろん、過去に罪を犯したことは過ちではある。厳しい現実があることは間違いない。

しかし、過去の過ちを認め、更生したならば、その過程を思い、チャンスを与えることも必要ではないか。自らの努力で成功をつかむことができる。それが、アメリカン・ドリームならば。

今回は、オリンピック精神。それが大きくクローズアップされ、あまりにもふさわしくないことをしていたから。そう願いたいものだ。

浜田省吾のアルバム「FATHER’S SON」の解説を読むと、次のようなことが書かれている。

ジャケットは、スプリングスティーンのパロディーだと。
浜田省吾は、「パロディー」と語っているが、茶化しているわけではない。「パロディー」という言葉をどう解釈したらいいのか。わたしには、はっきりとわからなかった。

また、アルバム「FATHER’S SON」のジャケットは、浜田省吾はレイバンをしていることから、マッカーサーと同じ恰好をして撮ろうかと自分から提案。その提案は、「そのときは面白いと思うかもしれないけれど、あとで嫌になるよ」と拒否されたという。

FATHER'S SON-浜田省吾

もし、浜田省吾がアルバム「FATHER’S SON」のジャケットをマッカーサーと同じ恰好にしていたら。。。何事につけ、大きな問題になっていた可能性もあったのではないだろうか。そう考えた時、なにか ちょっと ホッとした気分になった。

浜田省吾の提案したアイデアを拒否したスタッフは、すばらしい判断をしてくれたと感謝するばかりだ。実際、スプリングスティーンの格好を問題視されていないが、強烈なインパクトのあるジャケットには、世間から偏見を持たれてしまったとか。

若かりし頃の過ち。そんな言葉では言い訳できない。批判が怖くて、言いたいことも言えない。書きたいことも書けない。それは、ロックと言えるのか。

おそらく。ロックをやっている人には、恐れなどない。自分の考えていることを歌にして伝える。それで、何を言われようが、自分の信じた道を突き進む。そんなものだろうとは思うけれど、それが本当に正しいのか。それを判断できない自分がもどかしい。

「THEME OF FATHER’S SON」のインストゥルメンタル。終盤には鐘が鳴り、激しい前奏へと続くシングル「BREATHLESS LOVE」のカップリング「BLOOD LINE (Single Version)」。

この曲が大好きで、意味もわからないまま聴いていたあの頃。ロックに目覚めたのは、この曲の影響が大きかったのかも知れない。

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