路上。オン・ザ・ロード。そんな言葉が書いてあるものを手当たり次第に買っていた頃。ある日、書店で一冊の本が目に入った。
ジャック・ケルアックの小説『路上』(ろじょう、原題:On the Road)。
なにも考えずにジャケ買いした。カバーの絵が、Motelという言葉が、どことなく浜田省吾を連想させた。あれは おれ19。路地裏で細い肩を抱きしめた頃こことだ。
帰宅して、ベッドに横になって読み始めたわけだけれど。個人的に、好みの話ではなく、最後まで読むのが大変だった。こんなことなら、図書館で借りればよかったなと。
こんな思い出が、目をこうして閉じれば蘇ってくる。
こんなことを思いだしたのは、今朝、Twitterのタイムラインで 見慣れない投稿を見つけたから。その投稿には、こう書かれていた。
路上でヤバい人がいた。
マジで尾崎が蘇ったのかと思った。仕事帰りのサラリーマンがみんな立ち止まって聞いてて、なんか泣きそうになった。
路上?尾崎?投稿を見た瞬間、再生ボタンを押してみる。すると、どうだろう。目をこうして閉じていると、尾崎が、尾崎豊が蘇ってきた。
モノマネ?なりきり?そんな類かも知れない。尾崎豊だ大好きで、尾崎豊を愛していて、尾崎豊に憧れて、尾崎豊を目指している。そんな若者かも知れない。
川崎で見かけるという情報があり、名前は井坂海音。「川崎駅 尾崎豊」で検索すると、たくさんヒットしたというコメントがあった。
確かに似てる。声。歌い方。わかる人にはわかるのだろうけど、目をこうして閉じているわたしには尾崎そのものだった。
路上でヤバい人がいた。
マジで尾崎が蘇ったのかと思った。仕事帰りのサラリーマンがみんな立ち止まって聞いてて、なんか泣きそうになった。 pic.twitter.com/pYPjSEF6jc— ハル (@yaniyani_haru) October 5, 2021
まぁ、よくある話。かも知れない。コブクロ、ゆず、あいみょん。今ではビッグになったアーティストだけれど、路上、ストリートから始まったアーティストたち。
最初は、モノマネから。カバーから。それは、キッカケ、入口のひとつ。オリジナルで勝負した時、それまで聴いていた人がどう感じるか。ということが、この先重要かも知れない。カバーはカバーだから。
尾崎豊の長男 尾崎裕哉。期待し過ぎていたのかもしれないが、わたしは 彼の音楽に興味を持てなかった。
三浦祐太朗にしてもそうなのだけれど、親が絶大な人気があったアーティストだったしても、成功するかしないかは自分の実力次第。親の七光りだけでは通用しない。それほど甘くないのだ。
このフレーズを聴くたび、あの日の思い出を思いだし、あの日に戻れないさみしさを感じる。それが現実だけれど、いくつになっても 気持ちは19のままでいられたら。
それが無理だとしても、目を閉じた時だけは、19に戻れたら。そんなことを思う。
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