八月になった。
今朝は、今年に入って一番暑さを感じる。
浜田省吾を愛する人「TADASHI」さんのブログを訪問すると、「八月の歌」について書かれていた。そして、「八月の歌 1974」についても。

この記事には、
年に当時の首相田中角栄がアジアを訪問した時に、インドネシアで反日の暴動が起こったこと(マラリ事件)を背景にした歌であるという事を明確にする為の変更だそうである。
と書かれている。
この情報は、どこから得られたのかは書かれていないが、そういう解釈もあったのかと。インドネシアで反日の暴動、マラリ事件。マラリ事件を調べてみると、次のようなことが書かれていた。
マラリ事件(マラリじけん)は、1974年1月、田中角栄首相がインドネシアを訪問した際に、首都ジャカルタで発生した暴動である。この「マラリ」とは、インドネシア語の「Malapetaka Limabelas Januari(1月15日の災難)」の略称である。
マラリ事件 – Wikipedia より
インドネシアのジャカルタでは1万人のデモ隊が暴徒化し、日本大使館の国旗が引きずり降ろされ、日本車など200台以上が焼かれた。
世界の暴動 写真特集:時事ドットコム
浜田省吾の「八月の歌」に書かれている
おれ達が組み立てた車がアジアのどこかの街角で焼かれるニュースを見た
八月の歌/浜田省吾
というフレーズが、まさに同じ状況であった。
「八月の歌」が収録されているアルバム「J.BOY」が発売されてから35年になる。35年経った2021年に歌詩集「ソングライターの旅」を発売し、「八月の歌」のタイトルを「八月の歌 1974」としたのは、1974年に起こったアジアでの暴動。それを、より直観的にイメージ出来るよう考えたのかも知れない。
「八月の歌 1974」の解釈について、いくつかのサイトで「マラリ事件」に関係しているという記事を読んだが、どこかで書かれていたなのか。だとしたら、わたしは、大きな見落としをしていたことになる。
書かれていないとすれば、1974からマラリ事件だと推測したことに頭が下がるばかりだ。
そして、八月で忘れてはいけないこと。
「8月という月は日本人にとって特別な月だと、そんな風に思ってます。人の人生とか、死とか、戦争とか平和とか、そういった事を考える、そんな特別な月だと思います。」
スカパーViewsic『SHOGO HAMADA STILL ON THE ROAD vol2. LET SUMMER ROCK!’99・ HIROSHIMA』より
原爆を落とされた広島。浜田省吾は広島県出身であり、父親が被爆したということから、その想いは より強いことを容易に想像できる。そして、広島県出身の浜田省吾は、「八月の歌」を歌うべき場所は8月6日の広島。そう考えていたという。その想いは、今も変わらずに持ち続けているに違いない。
「出身はどこですか?」そう聞かれた時、わたしは決まって こう答える。「雪国」と。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった
まさに、このイメージそのもの。東京から帰省するたび、長いトンネルを抜けると急に寒さを感じたり、景色が一変する。わたしは雪が大嫌いで、東京に出てきた。
いつの日にか、恥ずかしさもなく、堂々と、故郷の地名を言える日が来るだろうか。性別。生年月日。出身地。プラべートなことは、触れられたくない。
いつか、自分から情報を公開できたなら。わたしの故郷の、首相を務めた大物政治家の名前(すでに他界)。空襲で爆弾が投下されたこと。そんなことを語る日が来るかも知れない。
今は、ただ、静かに、改めて、人の人生、死、戦争、平和について考えてみたい。
「愛の世代」のフレーズにある
愛の世代の前の一瞬の光
とは「原爆」の事である。そんなことから、アイキャッチは「八月の歌」ではなく「愛の世代の前に」のジャケットを使用しました。
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